昭和45年7月5日 夜の御理解 (末永信太郎) №45-熊02
実意丁寧神信心と、今年、今日という今日は、もう本気で一つ、目細う実意を込めてというような御理解を頂いておりましたが。まあ、そういう、まあ、心の状態をいつも心の中に念じさせて頂きながらの、まあ、一日でございましたが。今日は、まあ、ちょっとしたと言うが、事故が二つございましてね。
あの、東さんが自動車を入れよって、後ろに子供がおるのを気付かずに、子供の足を引いたっちゅうんですね。そして、まあ、下りてみてしたところが、まあ、おかげを頂いて、こう、子供が痛くないち言う。ただ、親指のこの付け根のところが少し痛いという程度で、まあ、大難を小難のおかげを頂いたから、お礼を申し上げてくれという電話がかかって来た。上野先生が頂いた。
また、夕方、そこはあの、佐田さんところの霊祭でございましたから、(ておうざおう?)しておりましたら、それこそけただましゅう、電話がかかってまいりましたのを、上野さんが受けた。堤清さんが、吉井で自動車正面衝突しておる。相手は五人ぐらい乗ってござるとに、怪我しちゃる。もう、おろおろで、こちらが何を言うても分からない状態だった。
それで、まあ、すぐ私のところに来ましたから。それはね、成り行きを大事にしながら警察にすぐ連絡をとるようにということでした。吉井のあの、若松(ミルク?)という所のあるところの前だったそうです。ほれが、おかげを頂いて、まあ、今、みんな帰って参りましてね、話を聞かせて頂きますと、まあ、銘々、まあ、お父さん達が原鶴に行っちゃった。それを、迎えに行く途中であった。
ほれで、まあ、すぐお父さんに電話をかけたんでしょうね。そしたら、すぐ来て、まあ自分なあ、( )でん、どっか近所の吉井の(きょうかいぎん?)と話し合って、話を決めて、まあ、とにかく、なら、こちらもそう言うとるし、向こうもそう言うとる。怪我ち言うても、その、まあ、大した怪我ではないらしいけれども、向こうは五人も乗っとったから、少しぐらいの、まあ、怪我した。
それで、何なら、仲の仲裁の議員が中に入って、なら、修繕をしてくれ。そして、お金を五万円出してくれ。なら、そげんしようたいということで、話が決まった。で、そこへ警察が実地検証にきたところが、もう、一から十まで向こうが悪いということになった。それで、おかげでそれも全部ごあさんにしてから、まあ、自分ところの車をそげん修繕せにゃならんでしょうけれども、まあ、笠さんに電話をかけて、まあ、来てもらったと、こういう訳なんです。
まあ、そういうようなことの中から、これは、もう人のことではない、自分のこととして色々分からせてもらわなきゃならん。信心がね、段々わかって行くならわかって行くほど、本当言うたら、実意は込められなきゃならないはずですわね。
例えば、なら、東さんのことを私が最近感じておることを申しましょう。ご承知のようにお腹を切りましてから、もう、それこそお腹を切るまでは、もう、自分も日に何回と電話をかける、お願いをする。家内、お母さんが一生懸命お願いにみえる。まあ、おかげを頂いて、退院させて頂いた。そしたら、それから一週間ぐらいしてから、お礼に出て来ました。
しかも、お礼に出てきたのは、ちょうど、この頃のここで信徒会があっておりました。ですから、はあ、良かったね、今日は信徒会でおかげ頂いてよかったなと言うたら、いや、今日はもう、ご無礼して帰りますと、こう言う。なら、今朝から、また参ってきてから、勤めには出らせて頂きよりますけれども、まあ、まだ切ったとが少しは痛みますけん、まあ、お参りは出けませんけれども、よろしくお願いします。
もう、とにかく私が思うのはね、あの、医者にかかったり、薬にかかったち言うと、もうおかげ頂いても、本当に疎かになるですね。だから、私が医者が好かん薬は好かんと思うです。本当に、神ながらな、例えばね、医者にかかっても、薬にかかっても、本当に一から十まで神様のおかげを頂いたと実感しないとね、その、後がおかげにならんです。ね。
だけではなくてですね、それこそ、私はこの頃、中村さんに言ったように、やっぱり医者じゃなかにゃんとこもあるばの、ちいったようなことまで言うような事になって来る、と。もう、それが、来る度、だから私はもう、それは、そげな事でよかねと、こう言いたいのですけれども、もう、こっちは言わん主義ですから、申しますなら、まあ、こっちの信心の不行き届きとしてお詫びさせて頂いておりますけれども。
もう、それこそ、びっくりするようなことで、今日、まあ、お気づけを頂いて気がつきゃ、まだ有り難い。堤さんの場合でもそうです。今朝あたり、朝の御祈念に参って来て、今朝の御理解を何と頂いておったであろうか。それこそ、温泉行きもよかろう。良かろうけれども、そんなら御取次ぐらい頂いて、お願いして行きゃいいのに。私は、堤さんがそこに待っておられるだろうと思いますが、本当にね、あの、おかげを頂いてから、こっちは、もう無傷状態。こちらは、もう、ごあさんで、五万やろうというとこも、やらんで済むようになったと、おかげ頂いただけじゃいけんよて。
こっちはこっちで、本当分からせてもらわなと、まあ、言うたことでございますけれどね。これは、まあ、人のことであって自分のこと。あのね、そのくらいなことは、もう、十分分かっておらなければならないほどしの人。堤さんにしろ、東さんにしろ、同じことです。ね。ですから、お互い分かっておって、実際の時には行わなかったら、もう、それは分からずに行わん者よりも、私は結果はよくないと思いますね。
まあ、今日、私が堤さんがお届けのあった時に、神様にお届けをさせてもらいましたら、今言う、本当にあの、普通で言うならば、まあ、警察なんかにより話し合いで片付けろというのが、だいたいなんだけど、今日は警察に、成り行きを大事にしながら警察にかけろ。
だから、本当に成り行きの中にですね、もう、まさに五万円を出さんなんごとなっとるとこへ、警察が見えて、検査の結果、そういう事になったというんですけれども。神様にお願いをさせてもらったらですね、あの、草花をきれいに植えてあるところの中に、つむじ風が吹いたように、その花が折れてる。けれども、その(ほう?)が、もう無茶苦茶に折れずにですね、もう、はあ、ちょうどよかところから折れとるたい、といったようなところを頂きました。
例えば折れとっても、それは、また花は生かして使われるという意味でしょうね。ええ。そして、本当にあの、それからもう、あの、まあ、この世の中が真っ青といったように、青一色のカラーでずうっと頂いたんですけれども。今日は、まあ、そういう風で、まあ、言うならば、その人達のためにも、青うなるような一日であったわけでしょうけれど。それはもう、そん時、びっくりしたことでございましょうね。相手には五人も乗ってあるし。それが、あの、いつもあの、恐いことがなるちゅう時には、あの、何ちゅうですかね、あの、(びりっご?)ちゅうですか。あの、(びりっこ)ちゅうね、あの、(びき)のあの、子供ん時ですね。あれに手が出たり、足が出たりすると、いわゆる、壊れ物になるという風に頂くんですね。ところが今日はですね、あの、今、石垣の中のとこにおりますトカゲちゅうのがおるでしょうが。トカゲのこう足が引くとこ。あれはね、尻をプツッと切ったっちゃ、すぐ、後はまた生えるとですよ。
はあ、だから、これは神様のご都合だなあ、恐いことではないなあ、恐いことになることではないなあ、と私は、まあ思うておりましたら、まあ、その通りのような結果になりましたけれど。本当にあの、私どもが実意を欠ぐということの、これは、私が今お話をしましたようなことじゃありますまい。これは、私が、もう特に二人に感じておったことですけれども。
まあ、そういうお気付けが、そういうような形で現われたのですけれど。その、その内容というかね。問題は、そのお気付けを頂いた人が、本当は分からなければ値打ちがないのですけれど。まあ、その方達は分かる分からんは別としてです、まあ、人事じゃない、自分のこととしても、一つわからせて頂いて、実意を込めなきゃならんということを、改めて今日は感じました。まだ、堤さんも、そこまでは気がついちゃおられんような気がするし、東さんも、なおさら、ただ、後から電話かかってきて、こうして、まあ、大した(きゅうじ?)はなかったといったような御礼のお届けだけで済んで、それでお気付け頂いたとも思っていないと思いますけれどですね。私たちが、まあ、人事ですけれど、そういう事の中に、私どもが本当にシャンとしなければならんところをシャンとさせてもろうて、おかげ頂かなきゃならんな、という風に思わせてもらう。とりわけ、只今修行中ということを、いつも、やっぱり眼中においとかにゃいかんと思いますね。どうぞ。